フラッシング 随想録 1

Global Life

 

ニューヨークで初めて自分で見つけたアパートは7番線の末端に位置するフラッシングという地区からさらに15分、バスに乗って行った所にあるサンフォード通りにあるアパートだった。アパート暮らしといっても、$550ドルで当時29歳のMTVで働くパラリーガルのフィリピン人女性のリビングに住むことになった。彼女とは結局長い間、友人として良い付き合いをした。当時は学校でバチュラーの単位を取得し、マスターの単位を取る過程だったが、彼女もちょうどMBA課程を始めるということと、自分自身、日本人とのクオーターということで気に入られ、そのアパートで住むことになった。

皆、一ヶ月前退去報告というルールがあるため、留学生は限られた期間でアパートを探すが、自分が部屋探しであったニューヨークの人間はさまざまだった。1軒目はブルックリンのレッジウッドというエリアで、ラテン系の女性と一緒に住むというオプションがあり見学に行ったことがあった。悪い人ではなかったが、身体中に刺青があり、犬がいた。500ドルほどの家賃で悪くはなかったが、プライバシーが全くない状態で、彼女は自分にベッドを譲り、本人はソファーで寝るからどう?というラフさだった。

二軒目はクイーンズのサニーサイドのエリア、アイルランド系の人間が多いエリアだが、40代後半の白人2人とルームシェアをするというものだった。かなりインテリな印象で感じもよく、部屋の内装自体もオシャレだったため、そこにしようと決めたところに最後の最後で「俺らはゲイだがいいか?」と意思確認のメールが来たため悩んだ。今思うとすごいことだが、本当に魅力的な人だったため、考えた。考えた末、親にそういう道もあるのではないかと相談し、数時間かけて話した上で申し出を非常に残念ながらお断りすることがあった。

最初に話したフラッシングのアパートは三軒目である。フィリピン人のダイアンの第一印象か韓国系かと思ったが、日本人かとも思った。ノーメイクでも非常に美人な方で法律関係で働いている関係か、誓約書だけサインをさせられ、あとは100%信用されて鍵を渡された。彼女は既婚者で旦那さんはフィリピンで働いていた。

MBA生活は非常に孤独なもので、金銭的にも将来的にも色々と不安なものだったがダイアンとの交流でだいぶ乗り切れたところがあった。彼女自身は当時の自分とは違い、恐ろしく多忙な人間だったが、1週間に一度くらいは構ってくれたり、ご飯をシェアしてくれた。英語は当時は全く話せなかったため、気まずい思いもした。特に彼女が家に帰ってくる時間はあえて家にいないようにした。夕方の6時から9時くらいは外出し、フラッシングのバーガーキングやマクドナルドを放浪して過ごした。

フラッシングという街には色々と思い出がある。フラッシング公立図書館にはよく勉強をしに行ったし、CDなどもレンタルして借りた。新世界という中華系のショッピングモールがありそこのフードコートでたまにダイアンとご飯を食べたりした。一番入り浸ったのが、フラッシングにあるスターバックスである。フラッシングはNYで二番目の中華街ということで中国人や韓国人で賑わっていた。ここのスタバでは色々あった。一番のイベントは、自分が勉強をしていた目の前で韓国人カップルが破局し、そのあと女性が「あなたは英語が話せるか?」といい、自分のメールアドレスを聞いてきたのである。ミンジュというおそらく整形しているだろうがとても可愛らしい同い年くらいの女の子だった。

ミンジュとはしばらく連絡を取っていたが、やがて本国に帰った。そこのスターバックスでは、大体たむろする人間は決まっていた。いつもいる中華系のおばあさんが自分がいつも勉強しているのを気に留めたのか、リーバイスのジーパンをある日、くれたことがある。彼女自身英語が喋れないので意思の疎通がまずできなかったが何かに気に入られたのだと思う。

ジニーというギリシャ人のおじいさんともスターバックスで出会った。彼はもともとサニーサイドに住んでおり、フラッシングによく出かけていたらしい。彼とは一緒にダンプリングを食べに行ったり、映画を見に行ったこともあるかもしれない。今となって何を喋ったのか思い出せないのは本当に英語が喋れなかったこともあるかもしれない。

MBA生活はほぼリーディングとライティングが日課だったため、日々孤独との戦いで本当に辛かったとも思う。頑固だったのか、日本人ともほぼ交流をしなかった。キッセナ公園というところがアパートから走って10分くらいのところにあり、よく日光を浴びに出かけた。ケリークラークソンのGONEという曲を狂ったようにその当時は聞いていた。

フラッシングは一日8ドルもあれば十分に生きることができる。ダンプリングは3ドル、ローメンという中華系の白い麺は1.25ドル、ラーメンは5ドルあれば食べることができた。ローメンは1.25ドルでしっかりとお腹が満たされる量だった。韓国系のスーパーはそこそこの値段はするが中華系は留学生には優しい価格帯だった。

MBA生活という、ある意味、極限、ある意味、怠惰な状況で、勉強したいときにして、寝たい時に寝る。それでいて社会から外れてしまっている海外での孤独感、金銭的不安、なんとしてでも良いグレードを取るために勉強が必要なのでアルバイトもできないという絶望感もあった。自分は人間としてやっていけるのだろうかというところまで追い詰められたこともあった。

一人になってしまったのも理由がある。英語が喋れなかったので、付属の大学の英会話カフェに行ったことがあった。日本人も何人かおり、良いなと思って英語を話す気で行ったのだが、英語で自己紹介をした途端、場の空気が青ざめてしまった。どうやらそこは普段授業で英語を使っているので、日本語でくつろぐための場だったのである。普段英語でクタクタになってしまった人たちの憩いの場であり、1人の女学生は泣きそうになっていた。

なんとか自分も英語が喋れないことを弁解すればよかったのだが、チューターの人間に出ていくように指導されてしまった。

結局、リーディングとライティングで学校の成績(GPA)を満点に近い成績で卒業することになったが、全く英語が喋れなかったのと、ルームメイトのダイアンとの生活が気に入っていたので卒業後もなんとかNYに残ることにした。

ダイアンは人格者で、うちの英語が喋れない母でもスカイプ越しで素晴らしい人と絶賛していた。既婚者のため、一緒に住んでいた2年間、特にやましいことは何もなかったが、一度だけ自分が家に帰ると、なぜか自分のベットに座って何かをしていたことがある。当時、自分の背中がとても荒れていたのでベッドバグがいるかどうかチェックしていたのかもしれないが、なぜか電気が付いていなかったし、気持ちがいいくらいナチュラルな感じで「おかえり」と挨拶されたのでそれで話は終話した。

もう一見、ダイアンのパンツがバスルームの床に普通に落ちていたことがあった。そのまま放置することもできたが、顔を洗うにも用を足すにも非常に邪魔な位置にあり、どうしようもなかったため、タオル掛けにかけておいたことがある。その件に関しては彼女から一切の話はなかったし気まずくなることもなかった。

ダイアンは海外に旦那さんがいたので、2人でシティーに出ることはなかったが、家でよくご飯を一緒に食べた。一度だけ、高校の友達がNYに遊びに行ったときに3人でナイアガラの滝を見に旅行に行ったことがある。

フラッシング時代にハリケーンサンディーも経験した。なんだかんだそういう時にルームメイトがいるのはいいものである。

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