ヴァーチャル化に対する哲学

3D・VR

3年前に保有していたDogeのコインの価値が100倍近くになり、60万円ほどに膨らんだのですが、バイナンスのパスワードを忘れて引き出せないHorryです。

ものすごい量の税金も払わないといけませんし、別にスルーでもいいかと思っています。

換金または別のコインと交換した時に税金は発生するようです。

確定申告とかめんどくさいですよね。1000倍の600万になったらやってもいいですけど。

オルトコインとかって、取引所がマイナーなので知らない間にログインできなくなったりしてぼったくられているきがします。

イーサリアムとかメジャーな資産に今から「忘れないように」投資してもいいかもしれませんが、今後新しい形の投資スタイルは多角化していくと思います。

デジタル技術の多角化

投資先として面白いと思ったのが仮想空間の土地。別に何か検索してそういうものがあると思ったわけではなく、そういう発想があると思って検索したらやっぱりありました。

土地だから、自分のアバターや3Dモデルの家を置けたりするのでしょうか。想像は膨らみます。

本日は近代画家のバンクシー展を見に行ってきました。

最近は3Dアートとトラディショナルなアートの融合についていろいろ考えており、こういった過渡期の分野において自分がどのように関わっていくのが良いか考えています。

今回私は天王洲アイルでのバンクシー展を見に行ってきましたが、今渋谷で行われているバンクシー展はデジタル技術をフュージョンさせて公開されています。

3Dアートなどは多少のITリテラシーが必要になりますし、今後さまざまな分野で活用されるものになります。

ヴァーチャルのどの分野に注力するか

暗号資産のように鰻登りで成長する分野に参入しない手はありませんが、「それって何の役に立つの?」と問われるとリアルの衣食住の分野とはかけ離れた感性的なものになります。

ゲームを1日中している人間が幸せか?という問いにも賛否両論あります。たとえゲームの大会で優勝して金銭的な点をクリアしていたとしてもです。社会人として必要なスキルは社会人の給料よりも実は重要だったりします。

また、寝たきりのお年寄りが、脳波で3D空間を自由に動くことができ、セカンドライフを遅れたら楽しいのでしょうか?実質世界がマトリックスのような荒廃した世界であっても、3D空間が過ごしやすければ良いのでしょうか。

先日の記事の内容になりますが、人の心をMultiple Draft Theoryの論点で考えると(人の心は経験の束になって存在しているという理論)、3D空間での経験はその中での人格を形成することに何の支障もありません。

とはいっても、マトリックス化には間違いなく限界はあるはずです。バグも発生すれば、ルールや法則も新たに存在しますし、決定論的な到達点もあるはずです。

一つ頭にあるのは、現実世界の個人能力や性格はヴァーチャルな世界での能力に比例すると思います。ヴァーチャルの世界で能力を伸ばし続ければ、確実に現実世界での成長は止まります。そして結果として費用がかかるヴァーチャルでの生活を続けることができなくなります。そして現実世界でのフィールドは地球一つであり、ヴァーチャルでは良くも悪くもフィールドは多元にあります。企業でいうと将来確実と思われるGoogleに入社するように、メジャーな3Dフィールドが存在すればそこに時間と労力は注ぐ意義はあります。

人間のアイデンティティーの意義の変化

AIが発展すれば、自分のヴァーチャル空間での経験則から、自分のコピーが大量に生成されて社会をつくることになることもあります。

そもそも現実世界の自分が人間のコピーのようなものとも言えますが、ヴァーチャルと違う点で、現実世界は1つのみのため、故に経験パターンが同一化せず、例えば社会階級ができる。つまり、他の人間は自分ではないというアイデンティティが生まれます。

そのアイデンティティをもった人間がヴァーチャル空間でコピーされるとしたら、そこから1号でも2号でも名前をつければいいのかもしれません。そしてそれらが仲良く終わるかというとわかりません。

人が話して楽しかったり愛情を感じたり泣いたりするのは人間がタンパク質であったり、炭素だったり、カルシウムだったりする(腐敗しうる物質)からで、コンピューターの集積回路で使われるケイ素(SILICON、金属)ではない。実質世界のケイ素を通してSkypeなどで話せるわけで、ベースにはやはりマトリックス並の遠い未来も死があっての生き物としての人間の主成分がある。

やはりいつかは人間やヴァーチャルの空間は滅ぶ。人間の脳よりもケイ素などの金属素材の方が保存はしやすいため、もしかしたら地球外生命体に歴史を引き継ぐことができるかもしれない。引き継がれ、人類史はリスタートを切ることもできるかもしれない。

人間が生命として生き残るためには、上記の方法に時間を費やすよりも、他の星に移住する方が早い可能性もある。

だからそもそもの意味は問われる。わざわざ3D空間に関わる意味はあるのか。

人間の創作意欲

自分は意味はある無いにしろ、人間の創作意欲や感受性が3Dに引き寄せられ始めているとも感じます。

縄文時代の土器づくり、水や食料を保存するために必要だったとしても、はにわまで必要だったでしょうか?

都市にはビジネスが発展し、人が集まりますが、同じだけ文化というアートが存在します。

人間は爬虫類などのように食べて生きる以外に、精神的な感動や幸せを追求します。むしろ食べていくだけであれば

容易に条件をクリアできるのが今の社会です。自分の存在意義、自分が社会に何を想像して残せるのかということに

現代人はもがき苦しんでいます。(子供を残せればいいかもしれませんが、私には難しいです)

例えば3D作成ソフトで綺麗な水晶のマテリアルを自分の手で生成できる感動。もしかしたら3D作成をするプロはそのような

単純な生成プロセスは飽き飽きしているかもしれません。しかし素人であればあるほど、そういった作業を自分でできる喜びが

大きく、その人その人の人生に合わせて用途の変更は可能です。(私であればNY×宿泊×Tシャツというコンセプトに3Dアート)を

追加できます。

バンクシーがインスタグラムでNYC周辺の自信のグラフィティーを投稿

近代画家自身が、デジタル技術を使ってマーケティングを行う時代になりました。

アート時代も3Dモデルで何千万円と価値がつき、NFTというそういった資産を守るルールもできました。

この時代に乗るべく、私も個人的に3Dアートのスキルを磨いていこうと思います。

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